コロナ鬱だったのかもしれない
昨日は、仕事で久しぶりの遠出でした。
買い物とゴミ出し以外は外に出ていなかったので、世の中のリアルな状況がよくわからない。
外は人があまり出歩いてないんだろうな。
ゴーストタウンみたいになってるのかな・・・
いろいろ考えてしまうと不安が募ります。
正直、ビクビクでした。
目次
電車をやめて、車で移動
いつもは電車移動するところですが、今は車での移動がベストだと判断し、渋滞も考慮して少し早めに家を出ました。
いつもは渋滞がひどい国道も、朝10時台はビックリするほどスムーズに進みます。
歩道にも人影はまばら。
ゴーストタウンのように誰もいない状態ではなかったことに、少しホッとしました。
車は快調に走り、目的地まではアッという間。
「これって、コロナ自粛の効果なのかな・・・」
電車で行くのと同じぐらいの所要時間で到着しました。
午後は一転!「外出自粛期間中だよね?」
用事を短時間で終え、さて、帰路です。
大宮を通り、新都心、北浦和・・・と国道を走り、家に戻ります。
その時すでに13時を回っていました。
「え・・・、いる。こんなに?」
2時間半前に見た光景とは一転。
歩道には、人の往来が多数ありました。
駅に近づくほど、その数は増えるのです。
「いや、待て。
きっとこの人たちは、生活に必要なものを買いに行く人たちだ。
病院に行くところかもしれない。
薬を貰ってきたのかもしれないし。
それとも、銀行?郵便局?
ひょっとして散歩かな・・・」
頭がグルグル回ります。
信号待ちで止まると、目の前を通る人たちの表情が気になり出しました。
「やだ、あの人、笑ってる。
マスクしてないのに・・・。
いや、マスクが手に入らない人もいるんだから・・・、うん、きっとそう。
でも、どこに行くんだろう?
外出自粛期間中なのに・・・」
何が良くて、何がいけないのか?
もう、訳が分からなくなりました。
家に居ることは「善」で、出かけることは「悪」。
外で笑うことは「悪」で、外ではあらゆる楽しいことを慎むのが「善」。
そんなふうに思い込むようになっていた自分に、ショックでした。
この2~3週間ほとんど家の中にいたので、感覚がおかしくなっていたのかもしれません。
情報源は、SNS
ずっと毎日、暇さえあれば、SNSで情報収集をしていました。
医療現場からの悲痛な訴えや、スーパーやドラッグストアで働く人たちの追い詰められた精神状態をつづったツイートを目にするたび、
「家に居なくちゃ、外で過ごす時間を極力減らさなくちゃ」
と思ったし、
「医療現場の人たちや、スーパー・ドラッグストアの人たちは、ずっと笑うことができない辛い日々を送っているんだから、外で歯を見せて笑うことは悪いことなんだ」
と思っていたところもありました。
そうやって、知らず知らずのうちに、自分のなかで勝手な「善」と「悪」を定義していたのかもしれません。
「ひょっとしたら、これが『コロナ鬱』のなりはじめなのかも。。。」
私は大丈夫と思っていただけに、それもショックでした。
「悪」を袋叩き、SNS民も「コロナ鬱」?
Twitter では、日々刻々、あらゆる情報が挙がってきます。
大好きなスケート・動物・ハンドメイド作品の情報の中に、ちょいちょい紛れてくるコロナ関連のリツイート。
「誰かがこんなことを書いていた」
「テレビで誰がどう言っていた」
この非常時に、少しでも非常識な要素が言動に含まれているのを見つけると、寄ってたかって袋叩きにするコメント欄。
ゾッとしながら見ていました。
何が善で、何が悪なのか・・・?
自然と私も感化されていたのかもしれません。
そして、SNS民たちも、知らず知らずに「コロナ鬱」になっているのかも・・・
今日も、空は青い。
頭でいろんなことをグルグル考えながら、車を運転していました。
ザワザワした気持ちで人の多い駅付近を過ぎると、しばらくして武蔵浦和まで下る、長い坂に差し掛かりました。
「いい天気なのにな・・・」
空は青く晴れて、車の中はポカポカと暖かでした。
まさに日向ぼっこ日和で、私は心地よい空間にいました。
「私、もっと、外に出たほうがいいのかもしれない」
ふと、そう思いました。
私のコロナ鬱、解消法は
ここ1年ほどは隔週で両親宅を訪問しているのですが、車の運転が好きなこともあり、片道2~3時間のドライブが楽しみでした。
でも、今はこの状況もあって自粛中です。
どうやら私には、このドライブが一番のリフレッシュ方法だったようです。
それならば・・・
例えばこんな晴れの日に、目的もなく1時間ぐらいグル~っと車を走らせるのはどうだろう?
おにぎり2個と水筒を持って、フラッと出かけるのもいいかもしれない。
途中で車を停めて、車窓から外を眺めつつおにぎりを食べて、ボーッとするのも楽しいかもしれない。
健康で、心穏やかでいることも「協力」のうち
気持ちを平静に保つことも、健康にはきっと必要なこと。
健康でいることが今は一番求められているのだから、たぶんこれは「善」。
心が穏やかなら何かにイラ立つこともありません。
そうすれば、お店の人や宅配の人にも優しい言葉や感謝の一言をかける、気持ちの余裕が持てるかもしれない。
自粛すべきは自粛して、
気をつけるべきことはしっかり努めて、
必要以上に情報を得ようとせず、
たまには楽しむことや笑うことを「心の栄養」として与えてあげないと。
だから、頑張りすぎないことも大事。
悲観しすぎず、淡々と日々を送ること。
それも誰かの助けになるなら、やってみる価値はあるかもしれません。