好きなことをやめて、幸せになる
先日、偶然バッタリ友人と出会い、立ち話をしました。
正味、5分もなかったかもしれません。
連絡を取らなくなってから、どうしているかな?と気になってはいたのです。
でも私たちは、共通の友人も含めての付き合いの中、女性特有のベタついた関係ではなかったので、頻繁に連絡を取らないことが普通でした。
今では、ごくたまに挙がってくるTwitter のつぶやきや、ブログの投稿を見て、無事を確認するぐらいです。
活動を停止してから・・・
彼女はかつてクリエイターさんで、以前は作品を作って販売していました。
立ち話の冒頭、彼女は
「作らなくなったら、作りたいと思わなくなった」
と言いました。
それを聞いたとき私はドキッとしました。
もう彼女の新作を手にすることはできないんだ、と寂しさを感じたものの、それは一瞬のことでした。
彼女の晴れやかな表情を見て、ハッとしたんです。
あぁ・・・、彼女は、今、幸せな時間を過ごしているんだな。
そう思うと、なんだか羨ましさすら感じました。
仕事と、好きなこととの関係性
そのあと彼女と別れてから、
「好きなことを仕事にすると、苦しくなる」
という言葉が、ふと頭の中に浮かびました。
かつて私がフォトスタイリングを学んでいたとき、純粋に、キレイな写真を撮ることが楽しくて仕方ありませんでした。
でもそれを仕事として教えるようになると、義務感、焦り、息苦しさを感じ、楽しめない自分に気づいて写真をやめました。
そして、写真を撮らなくなると、すっかり興味がなくなりました。
同じく、カルトナージュと出会い、魅力にハマって、なんとなく講師課程を修了したあとに、人に教えよう、販売しよう、と活動し始めたとき、急に作ることが楽しくなくなりました。
あれほど箱を作りまくっていたのに・・・
たくさん厚紙を買いそろえたのに・・・
今ではそれらは、自室でホコリをかぶっています。
私にとって、キレイな写真を撮ることや、カルトナージュで作品を作ることは、趣味に留めておくべきものだったのかもしれません。
そうすればずっと、楽しんで続けられたんじゃないかな・・・
でも、彼女が私と「同じ」というわけではありません。
やりきること
クリエイター活動をやめる直後の彼女は、尋常でない数の作品を作り続けていました。
私生活をやりくりし、期限と闘い、休みを返上して、ただひたすら作品を作っていました。
そこにはただ「やらなきゃ」という思いがあったように見えました。
もちろん、好きで始めたクリエイター活動だったとは思います。
でも、はた目から見て「大変そうだな・・・」とは感じていました。
彼女の作品はファンも多かったので、すべての作品がお嫁入していきました。
見事なラストステージでした。
「やりきった」という感じを受けました。
だから、悔いなくクリエイター人生に幕引きが出来たのかもしれません。
そこが、彼女と私の違いです。
だから「好きなことを仕事にして、苦しくなった」わけではないのでしょう。
本当のところ、どうだったのかはわかりませんし、この先も私から聞くことは無いかもしれません。
私が好きだったのは
彼女と会ったとき、私はたまたま彼女の作品を持っていました。
それに気づいた彼女は
「あ、使ってくれてるのね、ありがとう」
と言って笑顔になりました。
私は彼女の作品のファンだったし、今も必ず、外出時には何らかの彼女の作品を持ち歩いています。
もう彼女の新作を手にすることはないかもしれない。
けれども、彼女の柔和な顔を見て、ただ嬉しかった。
作品を通して、私は彼女という人間が大好きでした。
大好きな人が、幸せそうでよかった。
ずっと会いたいと思っていた彼女。
久しぶりに会えた偶然に感謝しました。