子どもの可能性の芽を摘んだ罪深い親、その贖罪。|天狼院ライティング・ゼミ
先日「ウチでの日記」でご紹介した、天狼院ライティング・ゼミの課題ですが・・・
なんと!
無事、合格 → 掲載していただけました!
良かったです~っ!涙
目次
またしても家族ネタ
ちょうど、この課題を書いた前日だったか当日だったか、たまたま子どもとテレビを観ていたんです。
そのときに発した子どもの一言にヒントを得て、課題を書きました。
子どもたちが小さかった頃の、ちょっと苦い思い出です。笑
親心?教育?それとも・・・
「立派な子に育ってほしい」
と親が思うのは、果たして、愛情なのか?
それとも、他の親たちへのマウンティングなのか?
はたまた、子どもを通して自分の価値を挙げたかったんじゃないのか?
他人のことはよく見えても、自分のこととなると見えないものなんですよ。汗
いつも思い出す「ことわざ」
教育に関して子どもたちを叱るとき、いつも思い出すことわざがあります。
「馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない。」
良かれと思ってやったことでも、馬が水を飲みたいと思わなければ、結局は飲んでくれないわけです。
なのにまぁ、恩着せがましく
「せっかく連れてきてやったのに!」
って、自分は思うわけですよ。笑
それと同じですね。
掲載3つ目の課題はコチラ
前振りはさておき。
もしよろしければ、読んでみていただけたら嬉しいです^^
そのほかの掲載された課題
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